当社由緒記に「一丈の大幣を捧げて龍神祭を行う」とあります。 当日の早朝、氏子地域を流れる広瀬川の河口に行き、潮を汲んで持ち帰ります。境内には笹竹にサラシを取り付けて大幣としたものが4本立ちます。 神前に供えられた潮水は祝詞の後に境内に撒かれ、その年の過不足のない雨水を祈願するものです。
毎年恒例の龍神祭に対して、数十年に一度の大干害の時に行われるのが、臨時の大祭である「大潮汲み神事」です。
当地は瀬戸内式気候のために、灌漑用水に苦慮してきました。日照りが続いて干害が心配される状況となると、 神霊を大幣にお移しし、太鼓や摺り鉦などのお囃子に赤鬼青鬼が行列の前後を舞い踊り、飛び地境内の呉崎浜まで下って潮水を汲み持ち帰るというものです。 それでも雨水が授からなければ、この行列に神輿が加わり再度潮汲みがおこなわれました。 文政8年(1825)の様子を記した「春日神社潮汲神事絵巻・一巻」が当社に所蔵されており、市指定有形文化財の指定を受けています。
昭和6年(1931)を最後にこの臨時祭は行われていませんでしたが、平成21年(2009)に御鎮座千二百年祭の記念事業のひとつとして78年ぶりに再現されました。 呉崎の潮汲斎場を出発した行列は、潮筒を入れた唐櫃や馬上の神職、高々と掲げられた大幣やお囃子など、 250名にも及ぶ奉仕の氏子により本宮に到着し、五穀豊穣・氏子安寧の祭典が執り行われました。
当社で一番大事な祭典です。大祭式での神事のほかに、新入生を迎えての勧学祭や庄内神楽が行われます。
当地草地には江戸末から明治中期にかけて、私塾涵養舎と川面学問所があり、
この教育施設が送り出した門下生は3000名にも及びました。そしてこの生徒をお守り下さったのが春日さまなのです。
戦後長く途絶えていましたが、今日では復興して、先生の引率で児童が参拝し勧学祭が実施されています。
また、この時期は境内にある和りんごの原種とされる「新疆野苹果」
「黄太平」の花が見頃になります。