境内建物のうち、平成14年(2002)の平成大改修工事事業に際して、倒壊の危険からやむを得ず建て替えた神輿蔵と尾園神幸殿を除く、 三笠山と尾園御旅所にある全ての木造建物11件と、参道(南参道)鳥居並びに西参道鳥居の合計13件が、 平成23年(2011)10月28日に国指定登録有形文化財として登録されました。
平成22年(2010)10月に登録に向けた調査をされた熊本大学大学院伊東龍一教授が、報告書の中にその特徴を記しています。
拝殿、申殿、神殿を一直線に並べ、西に石段や西門を設ける形式は、この地方の中心的位置を占める宇佐神宮の建物配置に共通するものである。
神殿の左右に摂社を配し、3つの社殿を並べる形式も、宇佐神宮との関係が濃厚な柞原八幡宮の神殿左右に西宝殿、東宝殿を建てる形式に共通している。
三笠山春日神社は、長い歴史を持つが、それに相応しい社殿を備えている。宇佐神宮の影響が濃厚にうかがえるこの地方らしく、 宇佐神宮と共通する要素が社殿配置、建物の種類にみられ、それらがセットでよく残されている点が貴重である。
大分県北部、特に宇佐や国東半島では、上記のように本殿・申殿・そして回廊とも呼ばれる横長の拝殿を持つ形式の神社が多くあります。
当春日神社では、これらの中心的社殿とともに、神門や鐘楼などの付随社殿がまとまって修理保存されていることが評価されました。
木造平屋建、銅板葺。江戸後期(1830~1868)の造営。境内の中央に南面して建っています。 三間社切妻造、向拝一間銅板葺。周囲に組高欄付の切目縁をまわし、正面に蔀しとみ、側面前一間に桟唐戸を吊っています。 妻飾は二重虹梁大瓶束の組物で二手分(二手先)持ち出し、小天井と支輪を付けています。たちの高い外観構成になる本殿です。
木造平屋建、瓦葺。明治38年(1905)の造営。本殿正面に位置しています。 東西棟の切妻造桟瓦葺。桁行一間梁間一間。円柱を長押や頭貫、台輪で固め、組物は三斗、妻は束で棟木や母屋を支持しています。 内部は一室で板敷、格天井を張り、柱間は側面後半を板壁、他はガラス戸を建てています。当地方に見られる申殿の一例です。
木造平屋建、瓦葺。大正10年(1921)の造営。申殿の前方に東西棟で建っています。
桁行九間梁間四間、入母屋造本瓦葺で、正面中央に入母屋屋根の一間向拝。切石積基壇上に方柱を立て、貫ぬきで固めています。
内部は一室で板敷で、格天井を張っています。両側面を土壁とする他は開口とする横長で開放的なつくりの拝殿です。
社殿向かって右手に鎮座。御祭神として素戔嗚尊、他三柱の神々を祀っています。木造平屋建、銅板葺。(1751~1830)の造営。
本殿の東に南面して建ち、一間社流造銅板葺。高欄付の切目縁を三方に廻しています。
切石基礎に土台を据えて円柱を立て、長押貫ぬきで固めています。
組物は三斗組、軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁を省き蟇股のみ。
海老虹梁の身舎側は頭貫木鼻と同様の絵様を彫っています。
社殿向かって左手に鎮座。御祭神として市杵島姫命、他五柱の神々を祀っています。
木造平屋建、銅板葺。(1868~1912)の造営。本殿の西に南面して建ち、一間社流造銅板葺。
切石基礎に土台を据えて円柱を立て、長押なげしや貫ぬきで固めています。
組物は舟肘木、軒は二軒繁垂木、妻飾を豕扠首いのこさすとしています。
擬宝珠ぎぼし高欄付の切目縁を廻らし、正面に木階二級を付けています。小規模ながら丁寧なつくりの社殿です。
石造、間口3.1m、高さ3.8m。享保5年(1720)の造営。春日神社境内の南端に位置します。
石造の明神鳥居で、幅3.1m、高さ3.8m。礎石の上に内転で円柱を建て、貫ぬきと島木、笠木で固めています。
笠木の両端に強い反りをもたせ、力強い立面を構成しています。深い社叢の正面に建ち、近世以来の歴史的景観を伝えています。
木造、瓦葺、間口3.4m、左右袖塀付。弘化2年(1845)の造営。 拝殿の前方に位置し、四脚門の切妻造本瓦葺。本柱は粽付円柱で、控柱は几帳面取方柱。 虹梁状の頭貫や台輪で固め、組物は三斗組み。妻は虹梁大瓶束で、二軒繁垂木。四半石敷で、格天井を張っています。 前間には格子付の棚を設け随神像を安置。威厳ある境内構えです。
木造平屋建て、瓦葺。文政13年(1830)の造営。拝殿の南方、神楽殿と参道を挟んで対峙して建てられています。
切石基礎上に建つ方一間袴腰付の鐘楼で入母屋造り本瓦葺。方柱上部を頭貫と台輪で固め、三斗を組み、中備に蟇股を飾っています。
一軒半繁垂木とし、内部も化粧垂木で、近世における神仏習合の境内景観を伝えています。
国東が神仏習合の地であることの証ともいえる存在です。
石造、間口3.1m、高さ3.9m。昭和9年(1934)の造営。西門へと延びる西参道の入口に建っています。
石造の明神鳥居で、幅3.1m高さ3.9m。径36センチmの円柱を内転に建て、貫きと島木、笠木で固めています。
島木や笠木はほぼ同じ高さで、全体に反りをもたせ、安定感のある姿を作り出しています。
木造、瓦葺、間口1.9m。(1751~1830)の造営。拝殿の西方に位置しています。小規模な一間一戸薬医門で、切妻造本瓦葺。
本柱は円柱、控柱は面取角柱。それぞれを虹梁形頭貫で固め、主・控の柱間には男梁を架しています。
男梁の上に虹梁を置き、棟木を支持し、一軒疎垂木を配っています。木部は赤色に塗装され、西紅門とも称されています。
木造平屋建、瓦葺。天保6年(1835)の造営。拝殿の東南に西面して建っています。
桁行二間梁間一間、入母屋造妻入本瓦葺。正・側面に切目縁を廻し、北面後寄りから斜めに橋掛を延ばしています。
橋掛は桁行三間梁間一間、両下造桟瓦葺。神楽殿は角柱に舟肘木を載せ、中備に間斗束と絵様実肘木をおいています。神社境内に残る神楽殿の好例です。
造平屋建、瓦葺。昭和2年(1927)の造営。
神楽殿の橋掛の先に続く桁行5.9m梁間3.9mの木造平屋建、切妻造桟瓦葺で西正面に瓦庇を付けています。
内部は北側にコンクリート土間、南側に八畳の床上部を配しています。籠り屋やとしてとともに神楽殿の楽屋、地域住民の集会所などとして利用されています。
木造平屋建、瓦葺。昭和27年(1952)の造営。境内から1キロmほど離れた御旅所に南を正面として建っています。
桁行16m梁間7.9mの入母屋造セメント瓦葺、妻面に下屋を付設しています。
南半部を舞台、北半部を楽屋としています。正面を除き、外壁は下見板張。小屋は和小屋。伝統的な農村舞台建築です。
平成22年10月に熊本大学日本建築史研究室により調査が行われ、「三笠山春日神社 建造物調査報告書」(平成23年1月)が作成されました。
そしてこの報告書が文化庁に提出されて文化審議会にかけられたのです。
全ての物件に対して詳細な報告がなされていますが、この中から一部図面及び本殿と拝殿に関する解説を抜粋して本ページに掲載致します。
春日神社・余興舞台位置図 (地図)(PDF: 839KB)
求積図及び面積表(PDF: 106KB)
春日神社配置図(PDF: 78KB)
余興舞台・御旅所配置図(PDF: 24KB)
本殿(神殿)平面図 (PDF: 27KB)
本殿 解説文
三間社、切妻造、一間向拝付、銅板葺
基壇、切石積2段積、切石積亀腹上に身舎柱丸柱をたて、足固貫・内法貫・頭貫・切目長押・内法長押で固め、台輪を置く。
組物は、雲状尾垂木付き二手先、中備は、蟇股状の外形をもつ大瓶束笈形付きとする。
妻飾は、二重虹梁大瓶束笈形付きで、大瓶束には胡麻殻を施し、結綿は獅噛とする。これも笈形付き大瓶束を蟇股のように使用する方法である。
二段の虹梁の間には拳鼻付きの三ツ斗を三基置く。身舎の四周に切目縁を廻らす。
基壇上に石製礎盤を置いて、縁束をたて支持するが、縁束から左右に伸ばした挿肘木も縁葛を支える。
向拝柱は、基壇上にのせたやや背の高い礎石上に木製礎盤を置いて立てた、几帳面付きの角柱である。
水引虹梁は円弧状で、身舎柱と海老虹梁でつなぐ。木鼻は正面が獅子、側面が象である。組物は連三ツ斗で、手挟を入れる。
垂木は身舎の二軒目を打越し、正面ではさらに一軒を加えて二軒とする。
身舎正面3間には、半蔀、両側面の前方1間には、両折桟唐戸とし、これら以外は横板羽目とする。
半蔀は、現在内側に跳ね上げる形式であるが、本来は外側にあげる形式であったと考えられる。
総欅造で、部材木口を白く塗るほかは素木である。
内部は、前方に畳4枚を敷き、後方は神棚とする。神棚前方に中柱2本を立て、中央間を一段高くつくる。
ただし、中柱および中央の棚部分は後の改造で、元は中央部分も左右と同高であった。
正面3間側面2間で、前方は畳を4枚敷とし、後方は、側柱筋よりやや後方に中柱2本を立て、その間にできる中央間に扉を付けた神棚とする。左右は正面扉もない板床風神棚とする。
天井は、漆喰で塗り廻した折上天井であるが、これは、平成12年からの大改修によるものと思われる。旧天井は、現在の天井の上に残されており、これは鏡天井である。
『三笠山 春日神社誌』平成15年(以下、『神社誌』とする)では、文化7年(1810)「改築」と言われるが、確かな根拠は見いだせていない。
しかしながら、欅の素木造であることや、笈形の形状や絵様などは、19世紀前半の特徴をよく示しており、その頃の建物と考えてよいと思われる。
『神社誌』によれば、明治7年(1874)には、屋根の銅瓦屋根葺替があり(棟札)、大正2年(1913)にも屋根替があったという。
また、当社では平成12年から14年にかけて平成の大改修が行われ、社殿の各建物の修理が実施されている。
神殿については、『三笠山春日神社 御鎮座壱阡貳百年祭 記念報告誌』春日神社千二百年祭実行委員会 平成22年(以下、『記念報告誌』とする)の「本殿申殿の改修工事」(41頁)によれば、
「一番のゆがみが見られた御神座背面のけやき板材の取り換えを行うと共に、側面のものについては矯正をおこなった。
そして内面全体の壁紙を張り替えると共に、畳の敷き替えをおこない、壁代などの神具の全てを入れ替えた。
さらに外部の化粧として、六葉金具の取り付けや木口の塗装、そして亀腹(基段)部分の漆喰取り換えを実施している。」とある。
現在の天井については明記されていないが、このときの工事によるものであろう。
中央間に対する脇間の寸法の割合が小さい垂直性が強調された立面で、高田市内の若宮神社神殿とも共通しており、この地方の同時代の神殿の特色とみられる。
拝殿申殿平面 (PDF: 16KB)
拝殿 解説文
桁行9間、梁間2間、入母屋造、本瓦葺、正面中央間に1間入母屋造向拝付
後方の神殿の建つ一段高い敷地と高さを揃えるように、積まれた切石3段の石垣上に、石製土台を置いて、角柱を立てる。
正面および背面の中央間を除く柱間は、窓台・まぐさを渡して、開放窓とする。上は白土壁として桁を載せる。
正面では、小壁の飛貫上に蟇股を置く。側面は半間毎に柱を立て土壁とする。
桁行の正面および背面の中央間には、水引虹梁を架け、その下は開放にし、上に蟇股を置く。
内部は板敷で、天井は格天井とし、天井下に左右側面から3間の位置に大虹梁を架ける。妻飾は縦板張、目板付きである。一軒、本瓦葺。
向拝は、礎石上に石製礎盤を置いて、几帳面付きの角柱を立てる。水引虹梁を架けて、正面に獅子、側面に獏の木鼻を付ける。
身舎柱とは、水平に繋梁を架ける。組物は、出三ツ斗である。妻の内部は菱格子とする。
この地方では、拝殿を「回廊」と呼称することが多い。この拝殿には棟札が残されており、大正10年(1921)「廻廊建築」の棟札があって、この拝殿は大正10年の建築とみられる。
ただし、正面の蟇股は、彩色があること、「天人」や「二十四孝」を題材とすることなどから江戸時代にまで遡る、おそらく前身拝殿に取り付けられていたものと思われる。
回廊とも呼称されることの多かった、横長で開放的な拝殿もまた、宇佐神宮の影響を濃厚に示す建築として重要である。